生きている世界での真実

数学とは答えを出すものではなく

証明するものだ、って。

 

有名みたい。

 

 

仕事でもなんでも

たまーに言っちゃうんだけどさ。

 

これ仕事ってより作業じゃないのか?

 

ってやつ。

 

ビジネスも数学も

真実を追求していく、

という意味ではよく似てる。

 

 

「この世界での、」

真実はいつも一つ、

が数学なら。

 

他はみんな

コミュニケーションに過ぎない。

 

そこは

真偽よりもグレーで

日和見菌のバランスの世界だなと。

 

 

生きてるのがサボ世界ではなければ

 

先程の、

 

「この世界での、」

 

なんて一文を

入れる気にもならなかったのにね。

 

複雑だ。

 

宿命がイベント。

その結果は運命。

 

前世の記憶があってもなくても

回避しようとしてもしなくても

 

導かれるように

イベント発生する事象が宿命かと。

 

その結果については

繰り返すことも

変えることも可能、

ってだけなんだなと。

 

 

今まではずっと。

生まれたら死ぬ。

そういうのが宿命で

逃れることができないんだよ、と

説明していたがの。

 

よくある、

あのときあっちを選んでいれば、

なんてもの。

 

選んでないからどうなるか?

の結果は知らないけど。

多分似たりよったりに

収束していくのだろうな、

みたいなことを脳サボに話してた。

 

人の人生サイクルは季節が巡る。

 

季節的にも逆も。

そして、その範囲が

北極並な空間もあれば

常夏の空間もある。

人それぞれ違うってそのへんよね。

 

国内海外に引越したり

引っ越さなかったり。

仕事変えたり

仕事変えなかったり。

付き合い変えたり

付き合い変えなかったり。

 

ガラッと変化するのは

そういう意味もあると思ってる。