仮死(肉体、精神)からの生還

肉体の

仮死からの生還や

精神の

仮死からの生還が

脳サボとかの

スピリチュアルな感じになるのかも

しれない。

 

 

一歩間違えばというか。

 

よくいま生きてるな🐱

みたいには振り返れるもんだよね。

 

第二の人生、

なんて甘いものではなく。

 

記憶を持ったまま

関係者各位も現存のまま

転生生まれ変わりの世界だと感じるよ。

 

こちらに戻ってきて脳サボついて。

 

そっからの方が

全体の感情も

自分の感情も

わかるようになった。

 

だから今の方が、

 

空に帰りたい、

 

な感情が産まれる、

なのはわかるようにもなった。

 

何かに必死なときに

自身の、

空帰るだ何だ、は出てこない。

 

ただ、

 

このままでは自分は

空に帰るな、

 

の判断はつく。

 

 

余命を感じ取る世界。

 

 

物理的に病とかでの

余命がわかることと。

 

直感で(肉体的精神的含めて)

自分の余命がわかることと

よく似てる。

 

神経が研ぎ澄まされる動物の世界。

 

死期が近くなると

ふらりといなくなるあれ。

 

人も動物だったのだなあと

今だから振り返れるのはある。

 

まずわかんない。

 

 

今はもうわかんないと思う。

 

 

 

余命がわかったときに

人はどうするか?

 

 

その時によると思う。

 

 

もっと好きなことしたり

散財したり。

 

 

自分ごとに勤しむこともあれば。

残る人たちの道筋を立て

その中で最善と思われる道を

推し進めることもある。

 

ぼく完全に後者だったし

自分の思いそのままの行動だったなと

過去を振り返る。

 

 

でも自分で決めた道は結構平気だ。

 

 

大体のことがどーでもいいって感覚は。

基本は相手の思う通りに動くわけで。

 

たまーに確固たる気持ちの前に

他人には

自分勝手と見えたのだなあ

と理解はする。

 

まあでも大抵はほんと、

どーでもいいって感覚。

今もそこは対して変わらんので

性格だと思う🐱

 

 

人の隙間を生きてて丁度いい。

 

 

これだけ今も

脳サボやサボとシンクロし

感情が体感として流れ込み。

 

わかりやすくはなったが

結局は同じサイクルの

スピリチュアルに戻る人生には

変わりないのだな、とも思う。

 

 

平和的?なサボ遣いは

ある意味

伴侶に対してののめり込み度とは

違うから

落ち着いていられる、

なのかもしれない。

 

 

思い出は美化してなんぼ。

 

全部が正解でも不正解でもない。

 

今のぼくが幸せかどうかは

今もよくわからない。

 

けど。

 

自分の両足で

立てているのであれば

十分だな、

 

みたいには思えるようにはなった。

 

そんなんでいいんじゃないのかな。