グレーな世界

相手のことを考えないのはASD?とか

障害らしい。

 

前提は本。

 

まあ合ってると思う。

 

そして

あれこれ余計に思い込んだり

不安になる癖もあるので

グレーだろうなと思ってた。

 

 

バタバタと家族の持ち物の名前つけ、

なんてのを何十年ぶりにやってた。

 

昔も今も、

 

ワンオペになりやすく

無料奉仕が多いな

 

とも思い出していた。

 

 

そんな中、

マジックで書いてたときに、

靴下は表面の見える方に書いた。

 

びっくりされて、

 

「自分の持ち物ならそこに書く?」

 

と聞かれたときに躊躇した。

 

 

「躊躇した時点で

 自分にはしないものだよ」

 

となり。

 

ああこれが

相手のことを考えないことなのか?

とその時は思った。

 

『見やすいところに書いたのは

 干す人のことを思って』

 

とっさに出た即答はこんなんだった。

 

まあようは。

着る人は認知低下でどこに書いても

判断つかないからと思って、

なのだが。

 

だけどなんか

首を傾げたままだったのは

なんか記憶が言葉にならなかったからだ。

 

そんなことをすっかり忘れていたけど、

ふとしたときに思い出すわけで。

 

根本な考え方が

やはり幼少期に見た

道を歩いてるお年寄りに

 

住所と名前が書いてある名札

 

が縫い付けてあったことだと思う。

 

当時も今も、

 

周りにわかるように、

 

であって

着る人の気持ちは考えてない。

 

認知低下は人ってより物だし

そんな扱いなのだなと

思い出したと同時に。

 

なるほど昨今の

人が人に対しての扱いも物扱い。

 

人は部品、としては

理解していたけど

そこに

 

使う側(普通に使える動ける)と

使われる側(認知は普通だけど

機械ほど動けない)

 

の認識の不一致が

いざこざになるのかもしれないなあと

ふと思ったんだ。

 

そして。

 

人はされたように人にもする、

 

を考えると。

 

部品は部品の扱いだし

それで社会が回るし

 

よく鬱だ障害だの判断ですら、

 

もしかしたら

 

社会的な認識の積み重ねでしか

ないのでは?

 

とも思ったんだ。

 

薬で治るもんじゃないからさ。

 

これからの認識としては

個性だし

一律皆同じが

溶けてなくなるのだろうとも思う。

 

あと、これやって、とかの

大人になっても大きい赤ちゃん、

なのは。

 

自分のことを

自分でしないからだろうな

とも思った。

 

あの辺男性が圧倒的に多いのは

仕事そのものが

下っ端ってより

指示振り分けの感覚のままで

成長しないからなのかもなあ

とも思った。

 

全然関係ないが。

 

犬猫は去勢して大切にするのに

人は子孫が続かないと

そうでもない(社会的にも)のは

なぜなんだろう?

 

それすらも

思い込みの社会なのではないか

と思う。